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不正を正しながら愚弄しないの線引き

国のこと
04 /27 2017
人は怒りが激しくなると
相手を愚弄する方向に行ってしまう

敵が強いと必死に戦わなければならなくなる
どうしてもそこでの怒りの戦いに勝たなければならないと感じてしまう

だから不正を正しながら、相手を愚弄はしないという事は、実はとても難しい

でも、難しくでもその線引きを守ろうとする事が、関係を改善する決め手になるのだ

その姿勢を忘れない様にすることが
とても大事なのだ

…そう、自分にも言い聞かせています。


 
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世代差か人間性か

 
04 /13 2017
世代差なのかな…
最近よく感じることだ

自分もそれだけ年を取ったのかなと思う

若い時から、年配の人と話すと緊張がほぐれてホッと楽になれた
子供の頃からおじいちゃんおばあちゃん大好きだったし。

電車に乗って隣に座った方がご年配の方だと、気軽に話し掛けて下さることもあり、世間話をしたりするのが好きだった。

穏やかで優しい雰囲気から、こちらも変に身構えなくていいんだと感じさせてくださる。
リラックスさせて貰えた。

最近になって感じさせられる

今の若い世代の人はあまりこういうとをしない気がする。

ウッカリ話しかけると警戒されてしまう
不審者だと思われるのだろうか
物騒な時代だから、仕方ないか

知っている人でも、警戒している様な空気を感じる事がある。
警戒心を隠さない硬い表情の人もいて、私はカルチャーショックを受けてしまう。

そういう時はなるべくそっとしておく

でも、その実、私も気持ちを維持できているわけではない。

私は元々自信が乏しい人間

見た目に出る大病をしてからますますそうなった

こういう時、自分に最低限の自信が欲しいと思う。

自分が疎まれているのではないかと邪推しないで済む程度には。

他者の態度で自信を削がれるのはやめたい

そこへ行くと私より上の世代の人達は強いなあと思う。

人の態度に余り動じていない感じがする。
(勿論、個人差はありますけどね)

あったとしても、それを表に出さないだけの鍛錬がされている可能性もある

あの域に達するには、私はまだまだ修行が足りないのだろう。

元来の自信の無さに加えて、それを挽回したいという見栄とか我欲にしがみ付いている部分が、まだ強くあるからだろう。

お手本と感じる年長者に出会うと、いつも感心してしまう。
尊敬の念から、その人の強さの秘訣に迫りたくて、つい長話してしまう。

相手の方にもそれが通じるらしく、快くお話ししてくれるのがとてもありがたい。

私の感じる人との関係の心地よさを大切にしたいと思う

価値観の違う人に惑わされずに守っていきたい

 

「火垂るの墓」を観た

 
04 /10 2017
「火垂るの墓」を観た
幼い妹を親代わりになって大切に守り続けるお兄さんに感心した
まだ14歳なんだね…
中学2年生ぐらい
自分ならあの年齢の時、あそこ迄出来ただろうか…

妹の節子ちゃんもお兄ちゃんの心を支えた
清太は節子ちゃんがいたから頑張れたんだね
兄妹は支え合っていたんだね

節ちゃんの最後の言葉は
「お兄ちゃん、おおきに」
(お兄ちゃん、今まで沢山ありがとうね)

野坂 昭如さんって大島渚監督のこと、壇上でいきなり殴っちゃった印象が強かったけど、悲しい体験をされた方だったんだな

実際は映画より複雑な境遇の様だ
完成した映画を見ていられなくなって涙されたとある
どんなに苦しかったか…


家に置いてくれた親戚のおばさんのこと
「子供の時は意地悪に思えたけど、年取ってから見ると、普通の人に見える」
という感想が多かった
私もそうだった
ここから、子供というものは、大人に特別に優しい対応を期待しているということがわかる

現実問題として、あの時代、居候を抱えることは大変な負担だっただろう

ああいう対応になってしまうのも無理は無いのかも知れない

誰の目から見るかによって、受け取り方は変わる

しかしながら、14歳に居候はどう振る舞うべきか等の“居候の心得”がわかった筈もない
余りにも突然の悲劇だったのだ

居てほしくないと思われながら、居座り続けることは難しい
相手の不満や要求がエスカレートして来ないとも限らない
どこまで耐えられるだろう
それは恐怖だ

親という保護を突然失ってしまった子供が、どれだけ過酷な現実を突き付けられるか目の当たりにされ、苦しくなる

どうやったら生き抜けるか

その立場になった時、一体どれくらいの人が正しく導き出して行動することが出来るだろうか

心に投げ掛けられる

 

足りな過ぎる緊張感

子供
04 /06 2017
辛い人に寄り添うことばかりやってきた

ストレスを軽減させる方向が多かった

だから、逆方向が手薄だった

昨今、緊張感の無い子供が増えていると言われる

私もそれをひしひしと感じる

ストレスが少ないことは良いことだと捉えがちだが、実はそうではない

バランスが大事なのだ

ある程度、緊張しなければならない場というものがある

例えば学校の授業中には、授業中に相応しい緊張感が必要だ

床に寝そべって、鼻歌を歌って、手元にある文房具を転がしたり投げたりして遊んだら、それは異常だ

これは極端な例だが、その程度の緊張感も欠いている子供がいる

いつでもどこでも最大級に寛ぎモードなのだ

こういう子供は誤解を受けることにも繋がる

本人に悪気は無くても、人を馬鹿にした態度だと周囲を激怒させることもある

怒られても、怒られている時に相応しい態度が取れないので、ますます相手を怒らせてしまう

怒られているのに深刻さが全く無く、ヘラヘラ笑ったり、ふざけたり、勝手に遊び始めてしまったり、果ては眠ってしまったり(!)する

こういうケースに当たって初めて、場に相応しい態度というものが社会の中ではどれだけ重要か気付かされる

それだけ、普通の人達には当たり前になっていることなのだ


人はそれを「発達障害」と名付けてしまう

その傾向が最近は顕著だ

でも私はそういう区分けはなるべくしたくない

微妙なラインに乗っている人は特に

薬なんてとんでもない!
(ご家族の薬への熟知と深い納得があるなら、もちろん反対する権利はありませんが)

生活の中での工夫でなんとかにじり寄らせるようにしたい


自由気ままに生活出来る環境もあるのだろうが、その子供の持って生まれた気質も関係している

親が厳しくても直らないことがある
(というか、こういう子供の親は大抵既にかなり手を掛けているし厳しい)

これ程までに、感覚の異なっている子供に緊張感を与えるにはどうしたらいいか

その場に相応しい態度で臨まなければならないという、自覚を促すには何が必要か

これからの研究課題だ


大人に接する場合とは違う、優しさと厳しさのバランス

とても難しい課題だが、疎かには出来ない

その子供の将来に大きく関わる問題だ


そしてその場合、教える側の自分にも厳しさを与えなければならない

指示だけの一方的なやり方ではなく、一緒に乗り越えようとする思いが必要


ただ、他者がどんなに頑張っても、最終的には本人の自覚でしか持つことの出来ない緊張感

どうしたら獲得させてあげる事が出来るのだろう

そして、適度な緊張感を身に付けさせてあげることが出来るだろう


自分の子供時代を振り返ってみよう

緊張感を最初に獲得したのはいつだったか

それは、どの様な場面でだったか

そこからヒントを拾っていってみるつもりだ


2017.4/6.8:38(最初に投稿)
2017.4/6.21:30(追記と修正)
 

ことゆめカウンセリングの特徴

ことゆめの思いと想い
04 /05 2017
私のカウンセラーとしての一番特徴的な売りは

   深い理解と寄り添いです。

辛い経験をしている人程、相性がいいと思います。

人生ずっと上手くいっていた人にはピンと来ないでしょう。

次の特徴は

これまでの苦労をひっくり返して

人生の逆転勝ちが出来るように勇気付けることです。

逆転成功物語りが子供の頃から大好きでした。

自分も苦労を生かして幸せになりたいし

同じ思いをした人にも、幸せになってもらいたい

それが私の願いです。

 

“笑い”って

 
04 /03 2017
面白いツイート見てて、私も考えようとしたけど、真面目くさった言葉しか浮かんでこない
そう言うキャラなんだと割り切ろう

そう言う点で、お笑いの人って日夜面白い事を紡ぎ出せるなんてスゴイよね
なんて頭がいいんだと昔から感心してた
たまにまぐれで出せても、量産するのは至難の技だ

それでいて、人の容姿をけなしたりするようなものは排除しなければならない

「ブスの瞳に恋してる」というドラマがあった
あの時、笑いについてとても考えさせられたんだ

本当にいい“笑い”って何だろう?って

あのドラマ、出だしがすごく気に入って、期待感満載だったのだ

少し前に本も読んでいて、「おお!あれをドラマ化するのか!」と

村上知子も可愛くて、応援したくなったんだよね〜
(とてもブスだなんて言えないくらい可愛かったし、好感度も抜群だった)


でも、見続けているうちに、ふと気になったのだ

ここで描かれているお笑いって「面白」って、容姿だけのことなの?って

お笑いって、もっと奥の深いものなんじゃないのかな?って

で、自分なりにお笑いを研究してみたくなったんだよね

自分が気持ちよく笑えるお笑いってどんなのなんだろう?って洗い出してみた

そして

   凄く難しいものだと思い至った

笑いってタイミングとか動きとか、バランスとか、時代背景とか、色んなことを考慮しないと生まれない

何処かを外しても不自然になっちゃう

総合芸術的な要素があるの

こりゃ、本気で笑いを追求していったら、そこで深い信頼や愛情も芽生えるだろうなって思った

だから、本当はそういう展開になって欲しかったりした

TVではそれを表現するのは余りにも難しいし、それを求める人が多くなければ無理な話だけど

密かに自分なりの「ブスの瞳に恋してる」を書いたりしたんだった

あれ、どっかに残ってる筈だな

まあそれはともかく、みゆきのお父さんの親心が優しくて可愛くてジンと来て、良かったなあ

 

見てもらいたい

 
04 /02 2017
人は自分の頑張りを見てもらいたいもの
人の頑張りを見て応援してばかりだと腐ってしまう

だからと言って、子どものように「見て見て」とも言えない

ここに葛藤が生まれる

だからそこを察して
お互いに認め合って褒め合うバランスが合ってる人とだと長く付き合っていける

ここがものすごく重要な部分

その人の能力がすごいかすごくないかより必要な条件だ

友達になれるかなれないかは、そこに掛かっている

一方通行じゃ気持ちが続かない

……

‪ただ、見てくれたり構ってくれたりするだけでも駄目で‬
ツボにはまっていないと、これまた却ってマイナスになることもある

「そうじゃないんだよなあ」
「そこは言われたくない」

みたいに


だから、本当の所を言えば、自分に合った感想をくれる人が欲しいんですよね

でもそんな贅沢ばかりの注文を付けていると
今度は自分が育たない

もし万が一、そんなワガママな注文が叶ったとしても、それでもまた自分が成長しない

願いが叶わない方が叶えたくて必死に頑張るんだけど
余りに叶わな過ぎても希望が無くなってやる気が失せてきてしまう

ここのバランスがとても重要なんですね

希望が無くならない程度に、飢えている状態

これを自分で作り出せることが理想的なのではないだろうか


 

やめられない

ことゆめの思いと想い
04 /01 2017

かーっ、青いなー
恥ずかしいな
でも、わかるなー、この気持ち

そりゃそうだ、だって自分だもん

これも4年前に書いたものです。
再投稿しておきます。

2017.4/1

***・・・***・・・***・・・***・・

2013.4/5

一生懸命考えて悩んで書いたコメント出して

夢中なあまり、自分の恥まで晒したりして

それでもすげなく無視されて

その時すごいショックを受けても

また暫くすると
悩んでいる人と関わろうとしてしまう

…習性

でも、だからこそ私にとってはこの仕事が天職なんだとハッキリ言える

色んな仕事をしてきたけど、
人が止めても、体調が悪くてもやってしまう仕事はこれぐらいではなかったか

元々、気が向かないことは全然出来ない
やらない

体調が悪いと身動きも出来ない

でも夢中になれるものにははまる

だからこれもそういう傾向がよく出ただけのこと


でも、クライアントのことを考えると

相性が合わない人からしたら鬱陶しいのだろう

熱いから

夢中過ぎだから

だから、相性の合うクライアントに巡り会いたいな

相手との心がピッタリ合えば、すごくいいカウンセリング、それこそ“究極の作品”とも言える様ないいカウンセリングが出来ると思う。

そしてお互いが成長出来る。

 

一番ほしいもの

ことゆめの思いと想い
04 /01 2017

『一番欲しい物に向かっていたい』

4年前に書いた記事を再投稿します。

私の基本的な考えは全く変わっていないことがよくわかります。
表現はその時その時で変わっても…

2017.4/1

***・・・***・・・***・・・***・・

2013.1/21

人は一番ほしいものを手に入れることに向かっていないと、次第に元気が無くなってきてしまうのだと思います。
代わりのものが幾らあっても満たされることはありません。

一番ほしいものを手に入れることはとても難しいことです。
でも、手に入れようともがいているだけでもいいと思います。
別のもので代用しているよりはずっと。

一番食べたい物が手に入らない時、代わりの食べ物で空腹を満たそうとすることがあります。
そういう時は食べても食べても満たされないからつい食べ過ぎてしまうのです。
でも、深い所が満たされていないから満足感は薄いのです。

 

Cotoyume

「ことゆめ」です。
ことゆめ心理カウンセリング
茨城県 阿見町
所持資格は産業カウンセラーです。