自立心について

信条的なもの
02 /27 2013
前々から思ってきたことで
でも書く機会が無くて、
頻繁に考えるテーマの割にはキチンとひとつには纏めていないことというのはよくあります。

困っている方からの声に反応して猛烈に書きたくなり、纏める機会を与えられることは多いです。

今回の記事でもそんなことを残しておこうと思います。


家族などにこうしてほしいと望むことがあって、
でもそれが期待に沿わなくて
ショックを受けたりすること…

ありますよね。

それが夫婦だったりすると
「自分の生まれ育った家ではこうだったのに」
とか、
「親はこうしてくれていたのに」
とか、
「世間ではこうするのが当たり前なのに」
とか…


そういう思いに囚われた時の為の話です。

まず、生きていく為に頼りになるのは自分一人だけだと思ってみることです。

パートナーの方はあくまで自立した者同士の人間関係のひとつであって、お互いに救うとか支えるという義務は無いものと考えます。

勿論そうしたければするのもいいのですが、相手にそれを要求しないのです。
基本的に独立です。
だから相手が何かをしてくれたらそれはご好意であり、世の中にはなかなか “有り 難い こと”、つまり、そうそう無い奇特な事と捉えるようにして、
決して当たり前のこととは思わない様に気を付けます。

中々難しいですが、突き詰めていくと結果的にこの考え方が一番自分を救うと思います。

期待するとそれが叶わなかった時に打ちのめされます。
相手を恨んだりもしてしまいます。
でも、これをもし逆に自分が人からやられたらどうでしょう。

勝手に何かを期待され、それをしなかったら恨まれる…

耐えられないと思うのです。

最初から独立した者同士であれば打算などの条件を排除してお互いに相手との相性だけを純粋に見極めて付き合うことが出来ます。

まあ、究極の理想論です。
実社会ではこうはいかないことも承知です。

でも、この考え方が基本にあると相手との関係は必ず良くなります。
それは表向きの形がどうなるかではなく、人間同士の心の関係が…ということです。
 
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容姿に悩む方への言葉

容姿の悩み
02 /27 2013

実際に容姿に悩む方へのメッセージを考えていて、ここにも書いておきたくなりました。

容姿のことは私自身、悩んで悩んでここまできています。

容姿…
この強く激しく深い苦しみを知らない人から、どんなに素晴らしい言葉を聞いても、慰めて貰おうとも、
その孤独な絶望の苦しみが癒えることは無いのですよね。

私の心が幾らか変化した経緯を例として書き起こすならば…

容姿の事では大きな悩みの山を2回越えました。

幼い頃からずっとタイプの違いに悩んでいました。
顔の系統です。
自分とは違う系統に強い憧れとこだわりがあって自分の顔が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

それが変わったのは
芸術というものを自分なりに知ったからです。
芸術品には色々な種類の良さがあります。
それは顔形にも言えるのではないかと思ったのです。
そして、理想とは違うけど、自分の顔もそういうものとして見てみると
その形ならではの良さが段々見えるようになってきたのです。

次の山は、病気で容姿が大きく変わった時でした。
皮膚が松の木の皮の様にガジガジに硬くなり、ボロボロに剥けたり、ジュクジュクになり滲出液がダラダラ流れるようになり、それが何度も繰り返されたり長い年月続くようになると…
もう「悩む」なんて生易しいものではありませんでした。
激しい怒りでした。

人に姿を見られることが大変なことでした。

それでも外に出ないと生きていけません。

隠して外出しましたが隠しきれるものではありません。

しかも見た目だけではなく、痛みや痛みを超える程の不快感や激しい痒みや熱感、腫れた膨張感、体全体の倦怠感、重さ、眩暈、頭痛…

もう死ぬ思いでした。

それを越えていました。

そんな中、変わるキッカケとなったのは、年月が経ち肉体的苦痛が減ったことでした。

激しい痛みや病状の進行などの肉体的苦痛を伴う悩みの場合は、まずは少しでもそれが和らぐことしか道は無いように思います。
そこから解放されると心はかなり改善されます。

でも、もしどうしても生涯変わらない種類のものならば、
例えば大きな事故などで元に戻せない場合もあります。
その様な場合

やはり、心に芸術性を身に付けることが一番なのではないかと感じています。

今目の前にあるこの姿形、
これをひとつの芸術だと思って認める感性。

価値観や感性を広げること

これに尽きるように思います。

ものの形、色々な物に、色々な形がある。

そもそも形とは何なのだろう?
形の良さとかそうではないとか、一体どういうことなのだろう。
その成り立ちは?仕組みは?
誰かが決めたものではないのか?

自分なりの答えを導き出すことです。

一人では行き詰まると思います。
その際はご案内させて頂きます。


追記:

ホームページの中にある

http://cotoyume.com/kipa-01.html

これにはそういうメッセージを込めています。

 

人の問いに答えることは

仕事への思い
02 /13 2013

人の問いに答えることは答える側にも意味深いことです。

何故ならそれは

相手への答えであるのと同時に、自分の問いへの答えでもあるからです。

長いこと問題を保留にしていた自分に答えることにもなるのです。

自分で答えて自分で納得出来ることもあります。

セッションには不思議な力が宿るようです。

私はほとんどの場合
悩みをお話くださった方々の中に感じる自分にも向けて答えています。

だからいつも全然他人事などではないのです。

深く共感しています。

 

独自研究「心理的盲点」

 
02 /04 2013

心理的盲点を感じられる事があります。

無意識なので日々気付かずに過ごしてしまっている様な事で。

でも困った何かが起こった時にはそれに気付けるチャンスだったりするのです。

実は私もこれで、昨日、自分の心理的盲点を見付けてしまいました。

とある苦手なものに近付かないし、
そちらが視線に入らない様にシャットアウトすらしていました。

自分にとってそんなに大きな事なのに、当たり前になり過ぎていて自覚出来ていませんでした。

今回気付けて、気付けなかった時より治せることに一歩だけ近付けたけど、
…中々奥の深い問題で難しそうです。

でも、同じトラブルを起こすのは嫌なのでなんとか頑張ってみます。

自分の気付きの一つ一つが、同じ事で悩んだ人に出会った時にも役に立てるといいな…と期待しながら。

こういう事が自分ならではの仕事への研究なんだと思っています。
カウンセラーは常に研究し続けるべきだと考えています。

 

Cotoyume

「ことゆめ」です。
ことゆめ心理カウンセリング
茨城県 阿見町
所持資格は産業カウンセラーです。

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