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国家資格「公認心理師」No.2

資格のこと
02 /03 2018
先日の記事、国家資格「公認心理師」については訪問者数が特別高く、世の中の関心の高さが伺えました。

それはそうですよね。

いきなり「大学から心理学専攻でなければ」という条件で区切られてしまっては、大学は別のジャンルを出た方にとっては寝耳に水です。
今、カウンセリングの仕事を実際にやられている方達には、その仕事が受験資格に考慮して貰えるかなど気を揉む問題です。
特に個人でやられている方は雇い主からの証明書は出ないので大問題です。
受験資格を得られても、試験内容が心理学専攻で机上の学問を積んできた方に有利な内容だった場合、望みは薄くなります。

この資格を施行するにあたっての国の意気込みはよくわかります。
一年間の自殺者数が3万人を超えてから、ずっと検討されてきたものでしょう。
長年求められてきて、ようやく漕ぎ着けたものだと察せられます。

だから生粋の心理ばたけ培養の専門家を望んだのですよね。
そこに携わってきた方々の思いも汲み取れます。

ですが、カウンセリングというものの性質を考えて頂ければと思います。

心が弱った人が何を望むのか

実際にどんな状態の方達なのか

どういう風に相談してくるものなのか

問い掛けに応じてくれないこともあります。

心を閉ざしたままで、警戒心を解かず、攻撃的な方も…

世の中や人を敵と見て、挨拶程度の対話に持ち込めない方も。

思いもよらないケースに出くわす事もあります。

心理学だけを学んできてさえいればカウンセリングが出来るのか
実際にどこまでの対応が可能なのか

実習とは全然違います。

受け手の人生にとっても大きい問題があります。
公認心理師を目指し、大学院まで出た後に、もしもカウンセリングが向いていないと分かってしまった時、その方はその後、どう生きていけばいいのか。
あり得ないことでは無いと思います。

カウンセリングだけではなく、学校の先生にも社会人を経験した後の教師が多く採用されたほうがいいのではないか?という議論が出たことがありました。
教育学を専攻してきて念願の教師になって意欲一杯だった方が、実際の現場に出てみて、その現実を知り、勤務が続けられなくなってしまうという事があります。
近年多くなってきていて問題視されています。
実習とは違う問題に直面するのです。
学問は大事ですが、それでうまくいかない例も数多くあります。
無理に勤務は続けられたとしても、いいお仕事が出来るかどうかはわかりません。

カウンセラーに話を戻しますが、大学、大学院と心理学を専攻し、臨床心理士の資格まで取られたのに、カウンセラーの仕事を選んでいない方も多くいらっしゃいます。

その点、経験を積んできた人の存在は貴重です。
紆余曲折乗り越えてたどり着いたのであれば、余程の事だからです。
相談者と同じ体験をしたから、その仕事に就きたいと思うようになる方もいます。
そういう経験者の言葉は相談者に大きな力を与えます。
まだ歳若い時期に決めた進路が線引きにされてしまうのは如何なものかと思います。

「公認」と国家資格を設ける事で、世の中の方は、それ以外の資格は“偽物”、もしくは“格下”と考えるようになってしまうという状況が充分考えられます。
というか、そうなるでしょう。

ですが何年か後、色々な問題が出て、最終的には技能で判断するという方法も必ず必要になってくると考えます。

どうか本当に力のある方達の活躍を排除することがないようにと願います。

      ことゆめ
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国家資格「公認心理師」について

資格のこと
02 /01 2018
公認心理師という国家資格が、昨年2017年9月15日に誕生しました。

これについて随分悩まされました。

その事について書かせて頂きます。

唐突ですが、私は、哲学が好きです。
大学の時に全く別の学部で学科でしたが、一般教養科目として哲学の授業を選択し、その素晴らしさを知りました。
教授が素晴らしかったです。授業は少人数で全て対話型でした。その教授はその後大変著名になられました。
それまでも高校で倫理の授業が面白いと感じましたが、それが哲学の一部であることは知りませんでした。社会科の一部だと思っていましたから。
大学で哲学に出会った後も独自に哲学的な事を考えてきました。
元々哲学気質だった様で、敢えて哲学と意識せずに子供の頃から哲学をしてきたと思います。

哲学と心理学の間(はざま)という事を考えました。

哲学的な問いの奥には心理的な理由がある、と。

例えば
「何故思い出は消えてしまうのか」と誰かが質問したとします。

哲学的な考え方として一つの例を出すと、
そもそも思い出というものは物質ではない
物質ではないものが“有る”から“無い”に変わると考えるのがおかしい
などということになるけど
その質問をした人がどういう気持ちで言ったのかが重要なのかもしれません。

『誰かとの思い出が薄くなっていくことに哀愁を感じる…』

ということを伝えたいのであって、
哲学的問答をしたかったわけではないでしょう。

今、目の前に提示されたこの問題は何処の何に注目すべきなのか?

それを先に考えなければいけません。

でもそれは心理学か?というと、これもまた違う気がします。

学問ではなく、生活の一部と言いますか…
逆に、学問全てを含んでいるとも言えます。

その問いを出した人と受けた人との関係性で答えが変わるからです。

課題は
「今、解かなきゃならない問題は何なのか」です。

先程の
「思い出は何故消えてしまうのか」
の問いを例を出して考えてみましょう。

若い女性A子さんが、同じ年頃の男性B男君に
公園のベンチで発した言葉だった場合

そのA子さんには過去に付き合っていた別の男性Cさんがいたけれど、何らかの理由で離れてしまい、ある程度の時間が経過した。
今、A子さんに友達的距離からほんのり恋愛的アプローチしているのがベンチで質問を投げかけられた男の子B男君。
という一つのシチュエーションが浮かびます。

A子さんもいつも優しいB男君に惹かれ始めている。
でも、過去の事も引きずっていて、出来ればそれを丸ごと消せるくらいの幸せを彼から貰いたがっている…

本当に自分を大切に想い続けてくれるのかどうか、この質問を投げかけることによって確認をしているのです。

こんな時、彼が
「そもそも思い出というものは…」と哲学的に答え始めたら、この二人の関係は進みません。

女の子は「あ、そっか、B男君って物事をとても深く考えるんだね。うん、わかった、ありがとう。じゃあまたね」
となってしまいます。

つまり何が言いたいかというと
学問だけを極めても実生活の中で活用出来ないと勿体無いってことなんです。

例えばカウンセラーなら、クライアントの今一番の課題を読み取らないといけないということなんです。

どんなに優れていても、心理学的に学問を学んできても、哲学的に学んできても、
目の前にいる人が何を投げかけてきているのか感じ取れないと残念なことになり得ます。

その問いに正確に答えていても、相手はそれが聞きたかった訳ではないってことがあるのです。

それを、立派な学歴、経歴をお持ちの方や資格保持者が必ずしも出来るのか

そこが重要だったりするわけです。

「公認心理師」という国家資格が誕生しました。
それまでカウンセラーの資格で日本で事実上トップだったのが「臨床心理士」
でもこれは国家資格ではありませんでした。

臨床心理士になるには
受験資格を認められる心理学系の大学院に行かなければなりません。
大学の専攻は問われません。

ところが公認心理師
こちらになるためには、
まず、大学で心理学を専攻していないといけません。
必要科目を履修し卒業して、その後更に心理学を追求する大学院に行かなければなりません。

さあ大変です。
それまで臨床心理士を目指し大学院からということで頑張ってきた人が、この新しい国家資格を望むとしたら、大学から入り直さなければならないのです。
何という酷なことでしょう。

実は私も迷いました。
私は大学で心理学を専攻していません。
と言うことは、公認心理師の資格を目指すなら心理学専攻の大学から入り直さないといけないということになります。

思い起こせば大学時代、心理学に興味があったので選択科目で心理学を受講しました。
でも、思っていたのと全然違いました。
動物実験の結果だとか、実験と結果のまとめ方とか、統計学とか、人の心に直接触れるようなお話はありませんでした。
教育心理学の授業も受けましたが、こちらは「狼に育てられた子供」の話など、育てられた環境によって人がどれだけ変わってしまうかなど、興味の持てるお話がありました。
でも、人を相手にカウンセリングをすることとは程遠い内容でした。

カウンセリングに役立ったのは
まずはその人の元々持つ感覚的なものが大きいと思います。
次にそれをどうやって伸ばしたか
色々な本で独学したり、実践的に人の相談にのってくる経験をしてきたか
それをどれだけ大量にこなしてきたか
私は自分の経験からそう考えています。
でもそれだけだと弱いので、足りないところを補う為にカウンセリングの専門家に学ぶと仕上がると思います。

私の場合、「産業カウンセラー」という資格を選びました。

こちらは社団法人で国家資格ではありません。

私が数ある中でここを選んだのは
・社会的な認知度が高いこと
・大学や大学院を問われないこと
・養成講座でカウンセリングの実習が受けられること
・学校に通うのは週に一度で一年間で済むこと
・費用が比較的、現実的だったこと
などからです。
これならば仕事を持っている社会人でも主婦でも可能です。

でもその前に既に、相談業務には就いていて
かなりな数のお客様との対話で、ある程度の自信はありました。
指名を繰り返してくれるお客様も多かったもので。

でも自分が無資格なのがとても嫌で…
日本では無資格で相談業務をしてはいけないということになっていません。
なので違法ではないのですが、やっぱり自分として気持ちが悪いと感じていました。
資格があればスッキリ出来ると思ったのです。

受けてみて大正解でした。
資格を得る為だけではなく、技術的に足りないところがありました。
それを学び直せたことは私にとって大きかったと思います。

その後の仕事の質が格段に向上したのを感じました。

さて、何が言いたいのかというと、
学問だけでいいカウンセラーにはなれない
ということなのです。

やはり、向き不向きがあると思います。

その上で学問も極めていれば理想的です。

ですが、学問を極める為に受験勉強に没頭してしまうと、実際の世の中の人の生(なま)の心には疎くなる気がします。

先程のベンチの男女二人を思い出してください。

A子さんが何を望んでいるか、勉強でわかるでしょうか?

私は産業カウンセラーのサポート会員というものに去年の暮れから登録させて頂き、この協会の発展の為に勤めていらっしゃる方々に会ってきました。
そしてお話を伺う機会がありましたが、とても感動しました。

社会人になってから、何か疑問を感じてカウンセラーを志すことは当然あると思います。

社会経験を積んでいる人にはそれだけの厚みがあります。

そのような方達が取ることの難しい資格で果たしてうまくいくのでしょうか。

勿論私も大学からやり直そうかと思った身です。
若い頃から心理ばたけにどっぷり浸かってくるということの意味深さを大きく受け取ってはいます。
ですが、社会人になってからカウンセラーを目指す人には国家資格という大きな称号への道は事実上閉ざされた形になってしまうというのが、納得がいきません。

日本は資格社会で学歴重視社会です。
でも、人の資質を重んじる目も忘れてはいけないと思います。

面接官がそれを見抜くことは確かにとても難しいのでしょうけれど、技能重視であってほしいと願ってしまいます。

負け惜しみと言われればそれまでなのですがね。

今後も思い悩み葛藤することが続きそうです。

   ことゆめ心理カウンセリング
       藤田 久美

Cotoyume

「ことゆめ」です。
ことゆめ心理カウンセリング
茨城県 阿見町
所持資格は産業カウンセラーです。