今日感じたひとこと 信条的なもの 03 /09 2017 過去に投稿した記事を読んでいて、今から4年前に書いたものを見付けました。基本姿勢は変わらないものです。2017.3/9***・・・***・・・***・・・***・・2013.1/14地道に頑張っていれば、活路は見出せる必ず自分なりの道が出来るだから私は、私に出来ることをひたすらするだけ …これでいいんだよ…頑張っているのに上手くいかなくて沈む時は、こう自分に言い聞かせています。 スポンサーサイト
バンジートランポリン 信条的なもの 08 /18 2013 今日私は「バンジートランポリン」というものを体験してきました。大空に向かって高く飛び上がり、空中で逆上がりの様な後ろ回りしたり、逆向きの前回りしたり、後ろ回り2回転したり…如何に綺麗に飛ぶか、美しく回転するか、そういう事を工夫するとすごく面白かったです。一年前にこれを見かけて、いつか絶対にやってみたいと思っていたのが今日叶いました。この体験から自分の中で大きな発見がありました。でもこれ、興味が無い人にとっては全然なんですよね。「すごく面白いからやってご覧よ」といくら誘ってもやりたくない人にとっては面白そうに思えないんですよね。日頃カウンセリングの中で感じていることですけど、自分の体験は自分だけのものなんですね。自分が望んだものが自分にもたらす意味はとても大きなものです。その逆に誰かの望んだものが自分に意味を持つとは限りません。自分が強く望んだことをすべきですね。生きる気力にも繋がります。
自立心について 信条的なもの 02 /27 2013 前々から思ってきたことででも書く機会が無くて、頻繁に考えるテーマの割にはキチンとひとつには纏めていないことというのはよくあります。困っている方からの声に反応して猛烈に書きたくなり、纏める機会を与えられることは多いです。今回の記事でもそんなことを残しておこうと思います。家族などにこうしてほしいと望むことがあって、でもそれが期待に沿わなくてショックを受けたりすること…ありますよね。それが夫婦だったりすると「自分の生まれ育った家ではこうだったのに」とか、「親はこうしてくれていたのに」とか、「世間ではこうするのが当たり前なのに」とか…そういう思いに囚われた時の為の話です。まず、生きていく為に頼りになるのは自分一人だけだと思ってみることです。パートナーの方はあくまで自立した者同士の人間関係のひとつであって、お互いに救うとか支えるという義務は無いものと考えます。勿論そうしたければするのもいいのですが、相手にそれを要求しないのです。基本的に独立です。だから相手が何かをしてくれたらそれはご好意であり、世の中にはなかなか “有り 難い こと”、つまり、そうそう無い奇特な事と捉えるようにして、決して当たり前のこととは思わない様に気を付けます。中々難しいですが、突き詰めていくと結果的にこの考え方が一番自分を救うと思います。期待するとそれが叶わなかった時に打ちのめされます。相手を恨んだりもしてしまいます。でも、これをもし逆に自分が人からやられたらどうでしょう。勝手に何かを期待され、それをしなかったら恨まれる…耐えられないと思うのです。最初から独立した者同士であれば打算などの条件を排除してお互いに相手との相性だけを純粋に見極めて付き合うことが出来ます。まあ、究極の理想論です。実社会ではこうはいかないことも承知です。でも、この考え方が基本にあると相手との関係は必ず良くなります。それは表向きの形がどうなるかではなく、人間同士の心の関係が…ということです。